若狭野天満神社について

西日本関西兵庫県相生市鎮座 若狭野天満神社(魔除け天神、あじさい神社)について

関西魔除け神社-魔除けの天神さん
若狭野天満神社は、今から約700年前(暦応四年:1341)
には現在の神社の前身が存在していたことが分かっている。
創建の詳細は不明であるが、少なくとも、中世以降、矢野荘
一帯の重要な地位を占めていた神社であることは確かである。
天満神社の本殿脇には龍王神社が鎮座し、海、水の神様
(龍王神・龍神)である少童命が祀られている。
   道真公の神牛
この神牛像の背中に乗って
お願いするとご利益がある
とされています。
    百度石
お百度参りされる(お百度
を踏む)方もおられます。
        絵馬堂
絵馬堂(拝殿)の天井には、赤穂浪士(四十七士)
や神功皇后馬上絵図など、民俗文化財として
重要な古い額絵馬が多数奉納されています。
 神符授与所
隣には古い神符を
入れる箱が置いて
あります。
   西播磨 花の郷
西播磨ツーリズム振興協議会に
「西播磨 花の郷」として認定。
   手水舎
拝殿へ行く前に、
手水舎(てみずや)
で手を洗い、心ととも
に身を清めましょう。
  車の祓い所
境内にある車の祓い所。
車祓いの際、この場所
に駐車してください。

 坂の上からの眺め
眼下に広がる若狭野平野。
 龍王神社(若宮)
勝負運、商売繁盛(金財運)
家運隆盛(子孫繁栄)を願う
神様として信仰参拝されて
います。

  狛犬
云(うん);吸気
を示している。
若狭野天満神社の本殿
   菅公一千年祭石碑
土台の石組みは「亀」を、碑は
その亀の背中に留まる「鶴」を
表している。

魔除の干支のページ

龍王神社のページ
  版画家による版木の奉納
「東風吹かば
   にほひおこせよ梅の花
     あるじなしとて 春な忘れそ」
   狛犬
阿(あ);呼気を示し
ており、云の狛犬と
両者一体となって
邪気を入れないよう
に守護しています。
御神殿
   バリアフリー参拝
拝殿までの参道がバリアフリー化
され、高齢化社会のニーズに対応
しています。境内左側の大鳥居か
ら段差無しで拝殿まで上れます。
(手すりも設置してあります)

亀と干支の石像
  参道入口
この参道(坂)の上に
当神社があります。
 石の大鳥居
この鳥居の下を車で
通ることができます。
    御神威
菅原道真公と天忍穂耳命
の二神による高い御神威。
  大鳥居
鳥居は平成十六年
の改修工事において
参道の坂から境内
へ移築しました。
mymy虫
絵馬掛け
           ≪神社沿革≫
創立年月日不詳にして、往古、山城の国北野天満宮の
分霊を勧請して、相殿に天忍穂耳命を併祀せり。慶応四年
(一八六七年)に本殿を再建し、明治一二年(一八七九年)
卿社に列せられた。古来霊験多く、領主の崇敬篤く、一般
庶民の尊信深く、旧幕時代には矢野庄十八カ村産土神
(うぶすなかみ)として崇敬し来れり。 而して往古赤松以下
付近領主の崇敬甚だ篤し。
                       兵庫県神社誌より
拝殿前
            ≪神社の歴史≫
境内にある鳥居は、享保十七年(一七三二年)に奉納されたものである。
これまで参道に設置されていたが、平成十六年(二〇〇四年)の改修
工事に伴い境内に移築され、さらに後世に遺すこととなった。
龍王神社の灯篭は明和三年(一七六六年)、本殿中垣の灯篭は元文
三年(一七三六年)、拝殿の灯篭は寛政三年(一七九一年)に奉納され
その歴史を刻んできた。拝殿前の中庭には、明治三四年(一九〇一年)
に奉納された「菅公誕生一千年記念碑」が建っている。この碑の土台の
石組みは「亀」を表しており、その碑が亀の背中に留まる「鶴」に見立てら
れることから、「鶴亀の石組み」と言われている。
拝殿からの眺め:境内
手水の作法
龍の口