今回、寝返りをうとうとしても痛くてできず、
そのことに腹を立てイライラしながら、仰向け状態で悶々とした時間を過ごしていました。
だけど、やがてそのことを考えなくなり、
最後には、「仕方ないな、痛くてもいいや、寝返りをうてなくてもいいや」
という、諦めの感じにも似た、こだわり(執着)の無い、静かな気持ちになりました。
これは、このときはじめて、自分が無くなった状態、つまり、
我がなんとかしたい、我がなんとかしたい、とういう「我よ我よ」という気持ち(エゴ)が消え、
無我、無私の状態になったんだと思います。
そしてそれにより、起こった出来事・状況をありのままに受け入れることが可能な
心の状態に変わった(受け入れ態勢が整った)のだと思います。
そうなったときに初めて、
寝返りがうてないことに対する感謝の気持ちが涌き起こりました。
このことについて、自分をよく観察してみると、
始めは、頭で考えていた(think)、すなわち、
背中が痛い(寝返りがうてない)という現象にだけとらわれ、
それを頭で考え、イライラし、思い通りになんとかしたいと。
でも、その状況をあきらめて受け入れ、自分というものを滅したとき、
すなわち、あれやこれやと頭で考えるのを止めて(思考停止し)、
「あっ、今、自分の背中は痛いんだねー、今、自分は辛い気持ちでいるんだねー」 と、
客観的に、それをそのままのものとして感じたとき(feel)、
感謝が生まれたんだと思います。
また、どうすれば痛みが取れるのか、寝返りがうてるようなるのか、
その上手い解決策=“やり方”(DO)を求めて悶絶していた状態から、
それはそういうものだと諦めて受け入れ、
それでいいんだ、これでいいんだ、ありがたいことだ、という
自分はどうあるべきか=“在り方”(Be)に切り替わったからだと思います。
■頭で “考える” のではなく、心で “感じる”。 ( Think ではなく Feel )
■どうやるかという “やり方” ではなく、どうあるかという “在り方”。 ( Do ではなく Be )
この違いを知ることが、
気づきを生み、
許し受け入れる気持ちを生み、
心の底からの感謝の気持ちを生むのだと思います。
そして、それが、人生に幸運をもたらす、重要な鍵ではないでしょうか。
気づき-心の魔を祓うために