※以前に掲載していた「神道について」

神道って何ですか?


と尋ねられれば、


私は、「感謝すること」だと答えます。




もっといいますと、

その前提として、「人はいつか必ず死ぬ」ということを

しっかりと受け入れることだと思っています。






人は必ず死を迎えるときがくる、

だからこそ、

今この瞬間に生かされていることが、掛け替えのない有り難いことだと思うのです。



自分に関わるこの世界の全ての人、物、出来事は、自分を生かすために存在してくれている、

だからこそ全てが有り難いことだと思うのです。






正直に言いますと、

自分は自分の力で生きているのではない、この世界に生かされている、

ということを受け入れるのは、

人間としての無力感といいますか、どこか寂しく空しいような気もします。




でも逆に、

人の力ではどうすることもできない、この瞬間はもう二度とは戻らないと思うと、


今の自分に与えられた

この世界の全て(自分、家族、友、知人、他人、全ての物・生き物、全ての出来事)が、

とても愛おしく(いとおしく)感じるのです。




愛おしい気持ちがあるからこそ、

どんなことにも感謝することができるようになるのです。








「誰かに与えられた人生で、しかも自分の境遇は不運なことばかり!


一体どこに、いとおしいという気持ちが生まれるんだ!」


という人がいるかもしれません。





でも私は思うのです。




それこそが、

あなたという“人”として試されていると。








同じ出来事でも、それを不幸・悪い事ととらえる人と、

きっとこれは良い事につながる・・・ありがたいなぁ・・・と思う人とでは、

全く違う結果が生じます。





確かに、

目の前に起きている出来事をそのまま受け入れて、

その中から「感謝」を見つける
ことは難しいことかもしれません。




“我(エゴ)”は、

本当は良いも悪いもないのに、勝手に悪い事だと決めつけて、

自分で解決したい(自分こそが解決できる)、と考えてしまうようになっていることも、

それを一層困難にしています。





でも逆に、こうは言えないでしょうか?


それを悪い事だと決め付けて、なんとかしてその状況を変えたい、などと

人(我)として考えている限りは、

なかなかそれに気付けないように仕組まれている・・・


幸せへの真実が巧妙に隠されているということに・・・






自分の身の周りに起きる出来事は、

人としての傲慢さをなくせ! 感謝(愛)を知れ! ということを、


何度も、何度も、訴えかけているのだと思います。



そのことに気付くまで。





本当の感謝を知るためには、

自分はいつか必ず死ぬという事実を受け入れ、


自分はこの世界で生かされているんだ、

という謙虚な気持ち(自然や神様を畏れ敬う気持ち)にならなければならない・・









結局のところ、私たちは、



感謝・愛」を学ぶためにこの世界に生かされているのかもしれません。














必ず死ぬということを受け入れ、



今、この瞬間、生かされていることに感謝し、



自分の信じる道をただひたすら一所懸命に生きる。




そのことこそが



「神道」ではないでしょうか。





※「神道について」の補足説明&おわりに

あじさい神社-神道について