ネット参拝についての想い



実際においても、ここインターネットにおいても、当神社にご参拝いただきまして、
ありがとうございます。



いきなりですが、ネット参拝について、一言、思うところを述べたいと思います。


このネット参拝のページをご覧になられた方の中には、神職・神社関係者の方もおられ、
このネット参拝を批判される方もいると思います。
しかし、決して神様を冒涜する気持ちはありませんし、神社への参拝を面白おかしく
茶化しているわけではありません。1つ1つどのページにも思いを込めて作っています。

強い言い方ですが、これを無碍に批判される方は、
お参りの本質、神様へ向き合うことの本質、が分かってないと思います。
特に神職・神社関係者の方であるならばこそ、今一度考えていただきたいと思います。



「聖なるものは、神様と、本人だけに存在します。」

信仰の気持ち、それは、神様に対する心の問題、本人の心の中にあるものです。


なんでもそうですが、
形ではありません、その中身(内容)の問題です。



インターネットだからといって神社への参拝ができないということはありません。
(実際にその神社に行かずとも、その神社へ遙拝することだってありますものね。)

たとえインターネットでこのようなお参り形式であっても、
そこに、神様やその神社を思う気持ち・心があれば、
それは立派にお参りしたことになると、私は信じます。

逆に言えば、実際に神社にお参りする人であっても、また神社での仕事をされている人
であっても、そこに心がなければ、神様に対する畏敬の念や感謝の気持ちがなければ、
それこそまさに形だけ、形骸化したものになるのではないでしょうか。




品位(品格)の話も同じことです。 品位って一体なんでしょう?

一般に神社と聞いてイメージするような、美しいさらっとした画像が並んだ
ホームページならば品位があるというのでしょうか?


これも形ではなく、それを作る作り手の気持ちや想いです。


その表面的な形だけを見て頭ごなしに批判せず、
まずは、その作り手の気持ちや想いを慮ろうとすることが大切だと思います。
その内容をちゃんと見れば、その違いは自ずと感じ取れるものだと思います。

人でいうのならば、その背後に存在する、見えないものを理解しようとするその心
からこそ、その人の品位や品格が滲み出てくるのではないでしょうか。


私たちは、見えるもの・聞こえるもの・触ることができるものに囚われがちですが、
見えないもの・聞こえないもの・触ることができないもの、それにこそ、
真に大切なものが存在しているのではないでしょうか。





いろんなご事情があって、ここ若狭野天満神社に実際に参拝したくても
参拝できない方も多くいらっしゃいます。

現に、「そちらの神社にお参りしたいのですが、体が不自由でお参りできません。
このホームページからお参りさせてもらいました、ありがとうございます。」と
わざわざ電話やメールで伝えてくださる方もおられます。
(こちらこそありがとうございます)


みなさまには、検索も含め、様々な経由で当神社のサイトに来訪していただいて
おります。今後ともご来訪の際には、当ネット参拝のページを通して、神様に
お参りしていただけたらと思います。



もちろん、実際に参拝できる方は、ぜひご参拝いただけたらと思っております。

この神社の自然の中に身を置いていただき、
この場その瞬間でしか感じることのできないものも、あろうかと思います。

(・・ただインターネットであっても、思いを馳せるその心があれば、
実際に参拝するのと同じ、いやそれ以上に体感することでさえも可能になる、
そう思っておりますが・・)




若狭野天満神社は、リアルでもネットでも、

みなさまの、心の安らぎとなる場所、心の拠りどころでありたい、


心から、そう願っております。