魔除け参り
心の魔を祓う 魔除け参り-魔除け天神
魔除け・・
魔を除けるとは、
穢れ(ケガレ)を祓うこと。
穢れとは?
人は、自分の思い通りにならないとき
周囲のせいにしてしまう。
あの人が悪いから、条件が悪いから、
境遇が悪いから、運が悪いから…
そして、怒り、悲しみ、閉ざす。
自分はこんなに~しているのに、
どうして分かってくれない、
自分はこんなに~しているのに、
どうしてうまくいかない、
自分は~なのに、どうして・・
自分とこの世界(他人、物、環境…自分以外
の全て)を分け隔てて考え、
その世界が自分の思い通りにならないことに
怒り、憂い、嘆き、
我よ、我よ、 と“我”の心に支配された状態、
その心の状態が、「穢れ」。
自分こそがその人を変えられる(変えたい)、
自分こそがその状況を変えられる(変えたい)、
自分こそが世界を変えられる(変えたい)、
自分こそが・・・と思う、
そのエゴの気持ちが、「穢れ」。
本当は、自分さえも自分ではない。
みんな、自分(我)というものが存在していると
思っているだけ。
そこに気づかない限り、世界は変わらない。
自分と世界(自然)を分け隔てて、
我よ、我よ、と思っている限り、
世界は変わらない。
自分はこの世界(自然)と同じ。
自分 対 世界 ではなく、
自分 = 世界。
自分 = 世界 って?
あなた自身の体も含め、この世界の全てを
創り出しているのは、
他ならない、あなたの「心」であるということ。
あなたの心のありようそのものが、
あなたの世界の全て。
良い事も、悪いことも、全て
あなたの心(意識)が映し出したもの。
あなたの現実を創っているのは、あなた自身。
なので、
誰かのせいではない。
条件のせいではない。
境遇のせいではない。
運のせいではない。
全てが、自分のせい。
もう、そろそろ、
自分が創り出した現実に、
自分で一喜一憂するのをやめませんか?
“我”に生きている人は、
本当の意味で、自分を愛せていない。
なぜなら、(自分が創り出した)世界と対峙し、
それを変えようと格闘しているから。
世界=自分であるのに、その世界と対峙する
ということは、
自分を受け入れ許せていない、愛せていない
ということ。
それは、自分で、自分の現実を愛せないものに
していることと同じ。
自分を愛するということは、
自己中心的に自分のことだけを考える
という意味ではない。
自分をいたわり愛してあげる気持ちを通して、
世界を慈しみ愛すること。
我よ我よというエゴを手放し、
この世、この自然の中で、
自分は“生きている”のではない、
“生かされている”のだという謙虚な気持ちで
(自然=神を畏れ敬う気持ちで)、
この世界の全てに対し、やさしさと
深い感謝の心をもつこと。
その心こそが、
穢れを祓い、魔を除ける。
そしてあなたの現実を変える。
魔除け参りは、
その心を取り戻すためのお参り。
その心に気づくためのお参り。