幸福に上限はありません。
 万人に対して無限です。 人と奪い合う必要もありません。



上限があるように見えるのは、上限があると思うあなたの心がその上限を現実化しているだけなのです。
心の奥底で、現実はやっぱり厳しいと思い込んでいるから、その通りに現実は厳しくなるのです。

人を妬んだり恨んだりするのも同じことです。
妬んだり恨んだりする気持ちを、そのままあなた自身に現実化します。そして、人を妬んだり恨んだりしな
ければならないような不幸な状況となるように、あなた自身に対して、いつまでもそれを現実化し続ける
のです。

また、悪いことをすると巡り巡って自分に跳ね返ってくるといったことわざがありますが、これは、悪いこと
が跳ね返ってくるというよりも、むしろ、自分で自分に対して悪いことを起こしているだけだと言えます。


          人の責任にしてはいけません。全て自分の責任なのです。
         (逆に言えば、全てを変える力があなた自身にあるのです)




よく小さいころから耳にしている、「人生楽ありゃ苦もあるさ」は、私たちが勝手にそう決め付けて思い込ん
でいることであって、決して真理ではありません。
このような考え方が常識のようになってしまっているのは、私たちの心というものが、いつも幸福な気持ち
でいることができにくい(悪い考えに囚われ易い)という性質を持っているということに起因します。

心はこのような性質を持っている以上、物事を悪く考える人の方が圧倒的に多くなるということは当然な
のかもしれません。この世界の常識というものが、その圧倒的に多い人によって形成されているのです
から、このような考え方が当然のことのように横行するのも納得できます。

しかしながら、常識がどうであれ、この心の法則は普遍的・絶対的なものなのです。
人生楽ありゃ、もっと楽」と思い込んでいる人は、その通りに、もっと楽な人生が実現されるのです。



ところで、この心の法則を理解し、納得している人でさえ、気付かないうちに、ついつい否定的な考えを
抱いてしまっていることがあります。

一旦心が乱れると、次から次へと否定的な考えが浮かんできてしまいます。
余計な先入観がない純粋な人ほど、ちょっとしたきっかけで悪い暗示にかかってしまいます。


人の心は外部からのいろんな悪影響を受け易いのです。だからといってこれを当然のこととしては
いけません。 この悪影響を断ち切り、再び前向きな気持ちになり、その心の状態を維持し続ける
ことが肝要です。

              このことにこそ、「努力」 が必要なのです。




神社は、日々の生活において、あなたが気付かないうちに悪影響を受けた心の状態を、清め祓い、
再びプラスの考え方ができる状態に戻すための場所です。

神社には、自分の心を静かに見つめ直すことのできる空間があります。


神社にお参りをし、心を落ち着かせて無心に願いごとをするとき、あなたの心は、あなたの願い事を
受け入れ易い状態となっています。
ですので、願い事を叶えたいとき、物事が上手くいかないとき、悩んで行き詰まったときには、神社に
お参りしてみてください。



また、神社を含め、あなたの周囲に対して「奉仕」をしてみてください。

その“奉仕の気持ち”は、人として崇高なものであり、見えない(神の)世界と強く通じ合う力となる
ものです。



現代は、合理性、したことに対する対価・自分の利益(目先の利益)ばかりを優先するあまり、奉仕の
気持ちを忘れてしまっています。

「奉仕の精神が大切」という言葉は、単なる標語のように一見使い古された感がありますが、実は、
このことこそが、本物の幸福を手に入れる“鍵”であり、またその手に入れた幸福が続く“鍵”なのです。
だからこそ、太古から、神社では、「奉仕」を大切な概念として守ってきたのです。

奉仕というのは、神社の利益のために都合良く使われるものではありません。
あなたが幸福をつかむために使われるものです。



「私は世間・他人の世話にならず自分の力で生きてきたのだから、私には関係ない。 なにが奉仕だよ・・」


一見合っているかもしれませんが、でも、その考え方は間違っています。
自分の立場でしか物事を見ていません。


人は、決して一人では生きていけません。
あなたが知らないだけで、“必ず” お世話になっています。

スイッチを入れれば電気が来る。 蛇口を捻れば水が出る。
その当たり前のことに、命を賭けて仕事してくれている人がいます。

今あなたがその土地に住んでいることでさえ、汗水たらしてその土地を開墾してくれた祖先の人がいて、
みんなの税金によってあなたの家の前の道路が造られ、銃で武装せずとも暮らしていけるように
行政・法律・機関や人の良識、共存共栄の意識(これらの意識が乏しい国だってあります)によって
維持されています。 
病院、学校、郵便局、お店、会社などがその地域に存在してくれるお陰で生活ができます。



                なんでも、当然じゃないんです。



私には関係ない、ではなくて、なにか1つでも、世の中のためになることをしてあげてください。
これまであなたを支え無事に過ごさせてくれた、人、世に対して恩返ししてあげてください。
例えそれが偽善と呼ばれようとも。

世の中、完璧な善だけなんてありません。むしろ殆どが偽善です。
偽と善の割合が多いか少ないかの違いです。
「奉仕といっても、心にはちょっと利己的な欲があるんだけど・・」    それで大丈夫です。



利他の心で、誰かのために何かをしてあげようという心を持った、そんなあなたには、
多くの幸せ(運、お金、健康…)が強く流れ込んできます。
このことは、世の中の実際を見ても事実だと思います。





ここで、これまで述べてきたことを実現するための"最も強力な方法"をお教えします。


それは・・・・       「 感謝する 」  ということです。


上辺な気持ちではなく、心の底から、「ありがとうございます」 と思えるようになるということです。



感謝するということは、実際に願いが叶ったり、悩みが解消したときの気持ちを先取っていることにも
なるのです。 心から感謝し、それを言葉に出して、「ありがとう」と言いましょう。

「ありがとう」という言葉は、通常、何かを買ってもらったりしてその物が手に入った時や、自分の希望が
叶えられたときなどに発する言葉です。 ある物事が実際に現実化したときに発せられる言葉です。


このことを逆手にとり、まだ現実化されてなくとも、「ありがとうございました」 と言葉にすることにより、
実際にそれが現実化されて感謝しているときの心の状態にさせることができます。


あなたの望むことをいつも楽しくイメージしながら、「ありがとうございます」を繰り返していれば、なんだか
本当に夢が実現されたかのような、ウキウキ・ワクワクする嬉しい気持ちが湧き出してきませんか?

そうです、その心の状態こそが、あなたの願い・思いを深層意識が受け取った(心の奥底が思い込んだ)
状態、すなわち、夢を叶える準備ができた状態なのです。




        幸せだから感謝するのではありません。

                             感謝するから幸せなのです。



人間、上手くいっているときには、誰でも自然に「ありがとう」という気持ちになれますが、上手くいってない
ときには、注意していないと、直ぐに不平・不満・怒りの感情が出てきてしまいます。
でも、幸福をつかむためには、その心こそコントロールしなければなりません。(コントロールするコツは、
心の中にもう一人の冷静な自分を置き、そのもう一人の自分によって客観的に心を観察すればよい)

上手くいっていないんだと勝手に判断しているのはあなたです。
それは悪いこと・不幸なことだと決めつけているのはあなたです。

でもそれは違います。

この世界で起こることには全て意味があります。

全てに意味があることを知り、それら全てに感謝することが幸せを呼ぶことになるのです。



   例えば脚の骨を折る大怪我をしたとき、
              “ありがとうございます、感謝します” って笑顔で言えますか?




脚の骨を折ってしまったため入院となり、楽しみにしていた旅行に行けなかった。
でも、後日になって、その旅行先で大惨事が起こっていたことを知る・・・
ああ・・・  脚の骨を折ったお陰で・・・  守ってもらったんだ。 感謝します。

いつも感謝の気持ちを持っている人は、全ての出来事が、結果として良かったと言えるように起こります。


脚の骨を折ってしまったため入院となり、楽しみにしていた旅行に行けなかった。
さらに悪いことに、その入院先の病院で大惨事に巻き込まれてしまった。
ああ・・・ 脚の骨を折った責で、その病院での大惨事に・・・  そもそも脚の骨を折った原因はアイツだ!

感謝の気持ちを持たない人は、全ての出来事が、結果として悪くなるように起こります。



どうせ自分は感謝の気持ちが持てない人間だし・・・
これまで何をやっても上手くいかないし・・・ どうせ・・・

大丈夫です。 今からでも決して遅くはありません。
感謝の気持ちを持とうと決心したその瞬間から世界は変わります。 見えないですが。


すると、上記の話はこうなります。

脚の骨を折ってしまったため入院となり、楽しみにしていた旅行に行けなかった。
さらに悪いことに、その入院先の病院で大惨事に巻き込まれてしまった。
でも・・・ 大惨事に巻き込まれたけれど、命は助かりました。 ありがとうございます。感謝します。
その後、その人は、その体験をきっかけとして、防災・安全に関する世界的な学者となった。



辛い時、腹が立った時、自分が不幸だと思える嫌な時、その時にこそ、どうか勇気を出して
「ありがとうございます」 「感謝します」 と心の底から思い、言葉に出して言ってください。


どんな時でも、今の自分、あなたの周囲における人、物(環境)、出来事、あらゆる全てに
対して感謝する気持ちを持つ努力をしてください。





        あなたは生きているのではありません。 生かされているのです。



人間は、石ころ一つが頭に当たっただけでも死んでしまう存在です。
でも、あなたは、今この瞬間、無事に、ここに存在している・・   
このことこそが奇跡であり、“感謝”以外なにものでもないのです。


大事なこと・大切なものは目に見えません。

見えているものは、見えないものによって支えられています。

そのことに気付いてください。



あなたは、日々、不平や文句、否定的なことばかり言っていませんか?
いつもイライラして、周囲に怒りをぶつけていませんか?
家族や親類同士でいがみ合っていませんか?
礼儀を知らない・思いやりのない自分勝手な言動をとっていませんか?
ちゃんと挨拶してますか?
人が見ていないからといってマナーの悪いことをしていませんか?
法律違反でないなら何をしてもいいや と思っていませんか?
自分には関係ないから という気持ちで行動してませんか?
自分の本心に“うそ”をついて生きていませんか?



この世界の全てが、あなたとつながり、あなたを生かしているのです。
それに対して心から感謝しなくてはいけません。


          感謝のない人が幸福をつかむことは絶対にありません。



先に述べた、全てをありのままに受け入れること、これは、感謝するということに他なりません。
感謝する気持ちがなければ(誰かの責にしていたのでは)、受け入れることはできません。
また逆に、受け入れることができなければ、感謝することもできません。
もちろん、受け入れるということは、自分・相手を許すことでもあります。


           感謝すること受け入れること自分・相手を許すこと


受け入れ、許し、そして、感謝する。
感謝する気持ちは、あなたの願いを加速的に現実化し、確実に幸福に導くとともに、あなたの周囲
全てを幸福にします。 幸福にしてもらった周囲からも、さらにあなたに幸福のお返しがあります。






 全てを受け入れ、感謝し、

 そういう心の状態で一日一日を大切に、精一杯生きていくこと、

 それが「神道」 であり、

 心がそういう状態で満たされているあなた自身が 「神」 そのものなのです。